へっぶしんです。ブログの更新を、仕事の最繁忙期だという言い訳でさぼっています^^;ただ、7:00過ぎの時間にちょっとした業務があって、さらに23:00まで家に帰れない日があったりすると、休みでもとにかく体を休めたくなって、頭も使いたくなくなってしまいます^^;
ま、毎日が長時間労働ではないのが救いですが、メンタルは相変わらず追い詰められてきついです><
帯より、
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見捨てられる生徒
追い詰められる生徒
知られざる「底辺校」衝撃の現実
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帯裏より、
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「先生、いくら勉強しても
わかんない人っているんだよ。
分かんないと思うけどさ」
高校改革が進む一方、
社会から取り残される「教育困難校」の生徒たち。
在学生、卒業生、教員、PTA関係者など、
現場のさまざまな声を通し、
現状と課題を照射する。
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高校の教員を長年務めた筆者が、「教育困難校」の実情を述べ、社会への警鐘を鳴らしています。
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「教育困難校」では授業を始めることに大変な苦労を要する。授業開始のチャイムが鳴っても、教員が既に教壇に立っていても、多くの生徒は自分の席についておらず好きなことをやっている。廊下で友人とたむろしている者、教室内で友人と大声で話している者、机上にマスカラやリップを並べて化粧に余念のない者等々さまざまな行動をしているが、最近ではスマホに向かっている生徒が最も多い。複数の教員が廊下を巡回しながら「チャイムが鳴ったぞ。教室に入れ!」と大声で注意するが、「うるっせえな」などと小声で返しつつ行動をなかなかやめようとしない。
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「教育困難校」の授業前の日常の記述ですが、どこの幼稚園だ?と驚いてしまいました^^;ただ、帯にもあったように、小中学校の段階で授業についていけないという経験をした子どもは、勉強に対して後ろ向きになり、自分に対しては勉強が必要のない者だと思い込んで自分を守ろうとしているのでしょうか。勉強が好きで好きで仕方がないという人も、世の中のごく一部の人だとは思いますが、できないなりに何とかできるようにしなけらば習いくらいの認識があるのが普通でしょう。
最初に筆者は「底辺校」という言い方に、子どもたちが傷ついている。卒業生も、自分が卒業した学校を言いたがらない。と述べています。同窓会も組織されず、OBからの寄付もない。そして、入学時の学力が低い学校を、世間では「底辺校」と言い、筆者は「教育困難校」と書いています。
一般的にも、教育関係の学者でも、はっきりとした定義のない「教育困難校」ですが、筆者は入学偏差値が44以下、または38以下だと述べています。東京や大都市圏では例外的に中高一貫校が多いため、高校入試をする生徒たちは、学力上位層がほぼ抜けた中での競争になります。そのため都立の高校入試では、難易度の低い共通問題と学力上位層を選抜するための独自作成問題に分けられています。公立高校の入試は都道府県でさまざまにあると思いますが、学校の勉強だけではとても対応できない入試になっている東京都は、全国的にみると特殊なのではないでしょうか。このように都道府県によって、学力平均値である偏差値50にばらつきが出るために、筆者は偏差値44〜38以下を「教育困難校」としているのでしょう。
個人的には、勉強なんか好きではなく、高校でも赤点を取って追試になるという面倒な事態を避けるために、定期試験では好きな教科はそれなりに勉強し、赤点ぎりぎりの強化は重点的に勉強するという手抜きの試験勉強をしていました。しかし「教育困難校」では、そもそも単元のポイントが何なのかを生徒が理解できないために、事前に定期テストと同じかもしくはそっくりな「対策プリント」を配布して、答えだけを覚えていれば単位を取れる状況にしているようです。そして、なんとか生徒に単位を取らしているとのことです。正直、そこまでしなければ成績を維持できないのであれば、普通科高校に行く必要はないと感じてしまいます。しかし筆者は、そのような「教育困難校」がなくなれば、高卒の資格を取れない子どもが大量に生み出され、「社会に出る際の最低限のパスポートともいうべき存在」を持たない人が街にあふれだしてしまいます。また、生育過程でネグレクト(育児放棄)にあっており、最低限の社会的マナーを身につける機会のない子どもが、放置されたまま社会に放り出されます。さらには、そのような社会的なマナーが十分に身についていない子どもが昼間の街にあふれだせば、治安も悪化するでしょう。そのようなことを防ぐためにも、「教育困難校」には存在意義があると言います。
学習障害や貧困家庭に生まれたために、将来への希望が持てず、学習意欲・様々なモチベーションを持つことのできない子どもでも、大人になり社会に出なければなりません。そして、そのような子どもでも仕事をして生活を維持していかなければなりません。筆者は「教育困難校」出身者が、現在の低賃金労働の担い手だと述べています。これが外国人技能実習生の制度などで、外国人労働者が増えると、競争に勝てずに仕事を失う人たちだと述べています。そのため、「教育困難校」にこそ教育予算を振り向けるべきだと提言しています。
ただ社会問題として、Fラン大学を揶揄する内容の読み物などを見ることが多くあります。私も、上述しましたが、そこまでして大学卒になっても意味がないのではないかと思っていた一人です。しかし、生まれた家庭によって、そもそも将来に希望が持てなかったり、学習意欲が低かったりするような子どもが、今の日本には多く存在します。そして、収入の低い家庭で生まれ育った子どもの成績・学習意欲が低いということが、統計的に有意だということが明らかになっています。
現在の日本は、少子高齢化により企業は人手不足で困っています。これは、大企業がため込んでいる450兆円の内部留保があります。社会的に正しさを追い求めようとすれば、大企業は内部留保の半分でも人件費や国内での設備投資を増やすことに使えば、一気に景気が良くなります。そうすれば、貧困家庭が減り、意欲の少ない子どもの数が減ることになります。
現在15%と言われている就学援助を受けいている貧困家庭の子どもが、少しでも減る社会になってほしいです。
筆者は朝比奈なを氏です。
筑波大学大学院教育研究科修了。公立高校の地歴・公民科教諭として約20年間勤務し、教科指導、進路指導、高大接続をテーマとする。早期退職後、大学非常勤講師、公立教育センターでの教育相談、高校生・保護者対象の講演等の教育活動に従事。主著に『置き去りにされた高校生たち 加速する高校改革の中での「教育困難校」 [ 朝比奈なを ]』ほか。
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