へっぶしんです。

 毎日少しずつ昼間が長くなってくることを実感し、春の訪れを感じられるようになりましたね。

 ここのところ、中学受験・格差社会はどこに行ったのかというくらい、読む本のテーマがずれてきています^^;

  今回は、第二次世界大戦という人類の負の出来事に巻き込まれて15歳でその生涯を閉じざるを得なかった『アンネの日記』(A.フランク)を読みました。

 私自身、人と感性がずれているのか、ヒトラーのナチスドイツによる陰惨なユダヤ人迫害の被害について考えるというよりも、アンネ・フランクというひとりの少女の知性に驚嘆しました。

 日記の中には、将来はジャーナリストか作家になりたいと記されていました。この少女が、ユダヤ人迫害から生き抜いて、ジャーナリストになったらどれだけ活躍したかと想像すると、戦争というものがもたらす災禍を恨まざるを得ません。

 この年になるまで、この名著を一度たりとも読んだことがなかった自分を深く恥じ入りました。

 戦争という人類が克服できない愚行について考えるためにも、人として生きるためには一度は読むべきでしょう。まだ読んだことのない方には、是非ともご一読いただければ幸いです。




 著者は知らない人はいないと思うのですが、アンネ・フランクです。

 [カバー裏より]
 1929年6月12日、ドイツのフランクフルトで裕福なドイツ系ユダヤ人仮定の次女に生まれる。1933年、迫害を逃れ一家はオランダのアムステルダムに移住し、1942年7月、姉マルゴーの召喚を機に一家は隠れ家生活に入る。ついに1944年8月4日、密告により連行されたアンネはアウシュヴィッツ、ついでベルゲン=ベルゼンに送られ、そこでチフスのため15年の生涯をおえた。1945年2月末から3月はじめと推定される。1942年6月12日から44年8月1日まで書きつづけられた日記は、永遠の青春の記録として、いまも世界中の人びとの胸をうってやまない。



  アンネの日記は、仮想の友達に宛てて書くという形式で書かれています。父親の会社の四階建ての建物の三階と四階部分に3世帯で暮らします。この日記を読むまでは全く知らなかったのですが、オランダ人の支援者が多数存在して、生活に必要な物資の調達を引き受けていました。そして、その支援者の誰かか、もしくは支援者の周囲にいる人間の密告によって、ゲシュタポに捕まってしまいます。

ナチスドイツによるユダヤ人迫害により、強制収容所で15という年齢で命を落とした、ひとりの天才少女による日記が、終戦から約75年たった現在においても戦争の悲惨さを伝え続けています。

 家族や同居人との確執に揺れる少女が、ナチスの影におびえながら《隠れ家》で生活する息苦しさが良く表れていると思える1節を抜き出してみます。

-------------------------------------------------

1943年11月8日、月曜日夜

 親愛なるキティーへ

 あなたがもしもわたしの手紙の山をつぎつぎに読み返すことができたら、きっと、それらを書いた時の気分が、あまりにもまちまちなのに驚くことでしょう。これほど周囲の雰囲気に左右されやすいというのは、けっして感心したことじゃありませんけど、でもこれはわたしばかりじゃないんです。ここではみんなそうなんです。たとえば、なにかの本に夢中になっているときなど、わたしはまずしっかり心を落ち着かせてからでなくては、ほかのみんなの仲間に加わることができません。そうでないと、みんなからちょっとおかしくなったと思われるのがおちですから。たぶんお気づきでしょうけど、目下のところわたしは、ちょっとした鬱状態です。なぜそうなのかはうまく説明できませんけど、たぶん、わたしが臆病だからでしょう。そしてこれが、このところわたしがしょっちゅうぶつかっている問題なんです。

 きょうの夕方、ベップがまだここにいるとき、入り口の呼び鈴が長く、けたたましく、突き刺すようになりわたりました。わたしはたちまち真っ青になり、急な腹痛と、激しい動悸とに襲われましたすべてが強いおびえからくる症状です。

 夜になって、ベッドにはいると、自分がパパやママと別れて、たったひとり地下牢にいるような気がしてきます。ときには、路傍をさまよっていたり《隠れ家》が火事になったり、夜中に兵隊がやってきて、わたしたちを連行していったりする場面が目に浮かび、つい絶望のあまりベッドの下にもぐりこんで、身を隠してしまうことを想像します。すべてを実際に目の間で起こっているようにまざまざと見てとり、そのあともずっとこういうことが、じきに現実になるかもしれない、という恐怖から逃げられません。

 ミープはよくわたしたちに、ここがこんなに静かで、ひっそりしているのは、うらやましいと言います。それはそうかもしれませんけど、彼女がわたしたちをとりかこむさまざまな恐怖のことに気がついていないのです。

 いつかまたいい世の中がきて、私たちが普通に暮らせるようになるなんて、とても想像がつきません。もちろんわたしだって、「戦争が終わったら」なんてことをよく話題にはしますけど、それはたんなる空中楼閣、けっして実現することのない夢なんです。

 この《隠れ家》に住むわたしたち八人、この八人がわたしには、黒い、黒い雨雲にかこまれたちっぽけな青空のかけらのように思えます。わたしたちのたっているこの円い、はっきり境界を区切られた地点は、いまのところまだ安全ですけど、周囲の黒雲はだんだん近づいてきますし、迫りくる危険からわたしをへだてているその円は、しだいに縮まってきています。いまでは、危険と暗黒とにすっかりとりまかれているので、わたしたちは必死で逃げ道をもとめて、おたがい同士ぶつかりあっているのです。下界を見れば、そこでは人間同士が戦っていますし、上を見れば、そこは平穏で、美しい。けれどもいっぽう、その巨大な黒雲はわたしたちをさえぎり、上へも下へも行かせてくれずに、突き破れない壁さながら、前に立ちふさがっています。それは私たちを押しつぶそうとしていますが、まだそこまではいたっていません。わたしにできるのはただ、泣きながら祈ることだけです。「どうかあの黒い輪が後退して、わたしたちの前に道がひらけますように」と。

 じゃあまた、アンネより

-------------------------------------------------

 戦争の陰惨さと、《隠れ家》での生活の息苦しさ、さらには空襲の恐怖などが、ものの見事に表現されています。これを書いたのが、弱冠14歳の少女だとは恐れ入るばかりです。世界に向けて、戦争の悲惨さを訴え続けるこの日記の価値を今まで知らなかった自分に恥じ入るばかりです。





 戦争とはかくも悲惨なものだということを、常に考えて、平和な日本に生まれ育ったということに感謝しながら日々を過ごさなければと強く思いました。しかし、現在の日本は、このような過去の悲惨な戦争を忘れようとしているように感じることが多々あります。また、一定の人たちは、戦争を相対化して語るさまが目につきます。古代から繰り返され、人類が辞めることができていない戦争というものが無い世界になることを願ってやみません。

 戦争を肯定する人たちは、もっと戦争によって引き起こされる個々の悲惨な物語に目を向けるべきです。そして、けっして戦争というものを相対化して考えることをしないでほしいです。たとえば、アメリカが正義のために戦っていて、日本だけが協力しないのはおかしいという言い方です。戦争は絶対悪だから、たとえアメリカが正義のための戦争をしていたとしても、他に取るべき手段があるにも関わらず、暴力である武力に訴えての問題解決方法は容認できない。という風に堂々と主張できる世の中になるように、日本人として努力していかなければならないと強く思いました。

 また、日本人として、太平洋戦争における旧日本軍の数々の蛮行を忘れてはいけないし、迷惑をかけた周囲の国々の方々の怒りに鈍感に生きてはならないと決意しました。ナチスによるユダヤ人迫害は、対岸の火事ではありません。同盟国であった当時の日本でも、非人道的な捕虜の虐待があり、南京大虐殺という蛮行を行い、植民地であった韓国・台湾の人々への従軍慰安婦問題・徴用工問題など、未だに解決できていない問題が山積しています。これらの負の歴史を真摯に受け止めて、未来に向かって戦争の悲惨さを子どもたちに伝えながら、自らの中にある差別意識などを払拭しながら生きていきたいです。

 よろしければ、こちらのくりっくをよろしくお願いします。