へっぶしんのニュースや日記です。

 ここのところ世間をにぎわせている検察問題を取り上げたい。大きな問題点は2つある。両方とも大阪地検特捜部を舞台に起きており、関連しているが、下記に引用する読売新聞の社説は見事に矛盾している。舌の根も乾かぬうちにとはこのことを言うのではないだろうか。個人的には、後のほうに起こった検察審査会の審査に非常に危惧を覚えている。

前特捜部長逮捕 やはり組織的な隠蔽だったか(10月2日付・読売社説)

 もはや個人犯罪ではなく、組織ぐるみの様相が強まってきた。

 郵便不正事件を巡る大阪地検特捜部の主任検事による押収資料改ざん事件で、上司だった当時の特捜部長と副部長が、犯人隠避の疑いで最高検に逮捕された。

 故意の改ざんと知りながら過失として問題を処理し、地検の検事正らに「問題はない」と虚偽の報告をした疑いが持たれている。

 捜査機関の責任者が犯罪をもみ消したことが事実であれば、極めて悪質であり、検察の自殺行為にも等しい。最高検は、事実関係や動機の解明を急ぐべきだ。

 先に証拠隠滅容疑で逮捕された主任検事は、これまでの調べに対し、フロッピーディスクの意図的な改ざんを認めた上で、副部長や特捜部長にも同様の報告をしていたと供述している。

 同僚検事らも、主任検事が改ざんした可能性を特捜部長らに伝えたと証言している。

 一方、特捜部長らは、主任検事から「故意ではなかった」との説明を受けて、それを信じたと主張している。主張の食い違いに最高検は、任意捜査では真相解明が難しいと判断したのだろう。

 犯人隠避罪での立件には、主任検事による意図的な改ざんと認識した上でもみ消しを図ったことの立証が必要だ。その際、証拠の中心は主任検事らの供述にならざるを得ない。

 郵便不正事件の無罪判決で、供述に頼る強引な捜査の問題点が露呈したばかりだ。個々の供述を丁寧に吟味し、特捜部内でどのようなやりとりがあったのか、精緻(せいち)な捜査を尽くしてもらいたい。

 動機の解明も重要なポイントだ。もみ消しで、組織防衛と保身を図ったのか。

 主任検事が改ざんしたのは、厚生労働省元局長の村木厚子さんの無罪を証明する可能性があるデータだった。

 冤罪(えんざい)を作り出すことも意に介さないような改ざんを、組織的に隠蔽(いんぺい)したのであれば、検察の「正義」を自ら否定する行為である。

 地検の上層部をはじめ、上級庁の大阪高検や最高検も管理責任は免れない。厳正な処分が行われなければならない。

 政界汚職事件を摘発し、検察組織の中で「花形」と言われてきた特捜部は、今や「解体論」にまでさらされ、存亡の危機にある。

 検察はまず捜査結果を国民につまびらかにすべきだ。その上で、外部の意見も聞きながら、組織の抜本改革を進める必要がある。

検察審再議決 小沢氏「起訴」の結論は重い(10月5日付・読売社説)

 強制起訴により、法廷に立たされる民主党の小沢一郎元代表の政治的責任は極めて重大だ。小沢氏にけじめを求める声が強まるのは確実で、民主党の自浄能力も問われよう。

 小沢氏の資金管理団体「陸山会」をめぐる政治資金規正法違反事件で、東京第5検察審査会は、小沢氏について2度目の「起訴すべき」との議決を出した。裁判所の指定する弁護士が今後、小沢氏を強制起訴する。

 小沢氏は、「裁判の場で私が無実であることが必ず明らかになると確信している」との談話を発表し、公判で争う意向を示した。

 ◆検察の捜査は「不十分」◆

 事件では、小沢氏と、既に起訴された石川知裕衆院議員ら元秘書との間で、政治資金収支報告書への虚偽記入について共謀が成立するかどうかがポイントだった。

 石川議員は捜査段階で、虚偽記入の方針を小沢氏に報告し、了承を得たと供述した。だが、検察は供述調書に具体性や迫真性が欠けると判断し、有罪を立証するには不十分だと結論づけていた。

 これに対し、第5検察審は「不自然なところはない」として、石川供述の信用性を認めた。陸山会の土地取引に関する小沢氏の説明の変遷にも言及し、「不合理で信用できない」とした。

 小沢氏らに対する検察の再捜査についても、「形式的な取り調べの域を出ていない」と不十分さを批判した。

 「有罪の可能性があるのに、検察官だけの判断で起訴しないのは不当で、公正な刑事裁判の法廷で黒白をつけるべきだ」とする検察審の指摘を、検察は重く受け止めなければならない。

 裁判では、検察は自らの不起訴の判断に拘泥せず、検察官役の弁護士に協力する必要がある。

 小沢氏は、9月の民主党代表選に出馬した際、検察審が「強制起訴」を議決した場合の対応について、「何もやましいこともないので、離党したり、辞職したりする必要はない」と語っていた。

 国会議員といえども、公判で無罪を主張する権利は無論、否定されるものではない。

 だが、小沢氏は鳩山前政権で民主党幹事長を務め、強大な権力を保持していた。先の代表選では敗北したが、今も、政府・与党内で影響力を持っている。

 小沢氏が刑事被告人になりながら、従来と同様に政治活動を続ければ、国民の政治不信は増幅されよう。刑事責任の有無とは別に、その政治的・道義的な責任は重いと言わざるを得ない。

 自民党の谷垣総裁は、小沢氏について「議員辞職すべきだ」と表明した。石川議員も民主党を自主的に離党しており、小沢氏は今後、与野党から、様々な形で政治的けじめを促されるだろう。

 ◆説明責任も果たさず◆

 小沢氏は今年1月の石川議員らの逮捕以来、事件への関与について国会で1度も説明してこなかった。5月には一時、衆院政治倫理審査会に出席する意向を示したが、6月に幹事長を辞任した後は、一切応じようとしていない。

 小沢氏が説明責任を果たさないことへの国民の批判は強い。9月上旬の読売新聞の世論調査でも「検察の捜査で不正はなかったことが明らかになった」とする小沢氏の説明について、85%が「納得できない」と回答している。

 この問題に関する政府・与党の反応は鈍い。

 仙谷官房長官は、「刑事訴訟手続きの一つのプロセスだから、コメントは差し控えたい」と述べるにとどめた。菅首相も従来、幹事長辞任で区切りをつけたという理屈で、小沢氏の国会招致に否定的な見解を繰り返してきた。

 民主党内では、小沢氏の事件でも、鳩山前首相の資金管理団体の虚偽献金事件でも、2人の責任を問う声がほとんど出なかった。政治とカネの問題に対する民主党の自浄能力には、大きな疑問符が付いている。

 ◆民主の自浄能力に疑問◆

 自民党など野党側は、小沢氏の辞職勧告決議案の国会提出や証人喚問要求を検討している。民主党は、早期に対処方針を決めることを迫られる。

 民主党内では、検察審査会制度の見直しを求める声が根強くある。小沢氏自身も一時、「素人の人がいいとか悪いとかいう仕組みがいいのか」と発言した。

 だが、2度目の議決をした審査員11人は、1度目の議決時のメンバーと全員が入れ替わっている。法律的な助言を与える弁護士も交代しており、慎重な審議が行われたと言えよう。

 大阪地検特捜部検事による証拠改ざん事件が検察審の審査に与える影響も懸念されたが、「強制起訴」議決は改ざん疑惑が発覚する前の先月14日だった。無責任な検察審批判は慎むべきだろう。

 簡単に上の要旨を抜き出してみると下記にようになるかと思われる。

前特捜部長逮捕 やはり組織的な隠蔽だったか

 供述に頼る強引な捜査の問題点が露呈したばかりだ。

 冤罪(えんざい)を作り出すことも意に介さないような改ざんを、組織的に隠蔽(いんぺい)したのであれば、検察の「正義」を自ら否定する行為である。

 

検察審再議決 小沢氏「起訴」の結論は重い

 ◆検察の捜査は「不十分」◆

 検察は供述調書に具体性や迫真性が欠けると判断

 第5検察審は「不自然なところはない」として、石川供述の信用性を認めた。

 「有罪の可能性があるのに、検察官だけの判断で起訴しないのは不当で、公正な刑事裁判の法廷で黒白をつけるべきだ」

 小沢氏が刑事被告人になりながら、従来と同様に政治活動を続ければ、国民の政治不信は増幅されよう。刑事責任の有無とは別に、その政治的・道義的な責任は重いと言わざるを得ない。

 無責任な検察審批判は慎むべきだろう。

 

 さて、大前提だが、上記の2つの事件、つまり村木事件と小沢氏の陸山会事件を担当した検事は同一人物だ。つまり、「冤罪を作り出すことも意に介さないような改ざんを」証拠に対して行った検事が作成した供述調書を基に、検察審査会が判断をしている。しかし「第5検察審は「不自然なところはない」として、石川供述の信用性を認めた。」。果たして、この事実をどう見るべきだろうか。供述調書自体の信用性はいかがか。根本的な問題が問われている。

 次に、一番問題視していることだが、「有罪の可能性があるのに、検察官だけの判断で起訴しないのは不当で、公正な刑事裁判の法廷で黒白をつけるべきだ」という意見だ。刑事司法の根本を否定しているこの考えを広めたいメディアに対して、非常に危機感を覚える。「疑わしきは被告人の利益に」、「推定無罪」など、刑事司法においては、「裁判で白黒をつける」必要はない。まずは完全に黒いことを捜査機関が立証し、その立証に無理がないかを裁判で争うのだ。「おまえ怪しいからちょっとこい」といわれて、逮捕され、拘留され、「怪しいから裁判で白黒つけよう」等と一般人が言われたら、人生が破滅する。少なくとも仕事を失い、家庭を失うことになるだろう。「怪しいから」で、起訴されたらたまったものではない。つまり、「国民目線の刑事司法」など、不要だ。必要なのは、10/2付けの主張にあるように、国家機関が暴走しないために国民が監視することだ。マスメディアはそのために存在する。したがって、10/5付けの方で「無責任な検察審批判は慎むべきだろう。」等といっているが、無責任でもかまわないと考える。国民が監視しているというメッセージが伝わり、国家機関が暴走しないような歯止めになる範囲であれば、発言の責任は多少軽くてもかまわない。そもそも、取調べの前面可視化が行われていない現在の状況で、責任ある供述調書の検証など厳密には不可能であり、無責任に批判するなというのであれば、何も語るなというに等しい。これでは、メディアとしてあまりにお粗末であろう。自らの責務を放棄したに等しい。

 結局のところ、陸山会事件などと大げさに報道しているが、大本になった政治資金規正法違反に関しては、小沢氏は無罪なのだ。検察は、小沢氏の犯罪を立証できなかった。つまり、小沢氏は違法行為を行っていない。にもかかわらずマスメディアが必死になって、事件を取り上げる理由はどこにあるのか。「小沢氏が刑事被告人になりながら、従来と同様に政治活動を続ければ、国民の政治不信は増幅されよう。刑事責任の有無とは別に、その政治的・道義的な責任は重いと言わざるを得ない。」これに尽きるだろう。小沢氏を政界から抹殺したいというマスメディアの意思が読み取れる。ただそれだけの話しではないか。個人的には、小沢氏を支持するわけではないが、この事件に関しては、反マスメディアという心情のほうが勝ってしまう。そのような、悪意のある偏向報道だ。一度は特捜部の解体論にまで言及しながら、その元凶になった検事の作成した供述調書にはなんの疑問も持たない。並べて読んでみると、あまりにも不自然ではないか。

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【整形】
HTMLで書いていたのだが、社説の引用部分がわかりづらいことに気付いたので、修正する。(2011.10.2)